日伯援護協会(ENKYO)を訪問致しました。ENKYOは戦後にブラジルへ到着した日本人移民への支援を主な目的として1959年に設立されたもので今年は60周年を迎える年になります。現在は巡回診療や病院、福祉施設の運営を行っております。会長の与儀様と事務局長の足立様より協会のご説明を受けた後に、人間ドックの施設を見学させていただきました。こちらの協会の設立にも細江静男先生が関わっているということです。現在では従業員の約6割が日系の方であるのに対して患者さんは日系の方は5,6%だそうです。これまでの日系の方々のブラジル医療への貢献についてお話をお伺いすることができ、大変勉強になりました。

日伯援護協会にて
ENKYO集合写真

続いて、約190万にのぼる日系社会に向けて情報を発信しているニッケイ新聞社にて、これまでの活動について取材を受けました。ニッケイ新聞にはこれまで何度も私共の活動について記事を掲載していただいております。本年度もご興味を持っていただきまして大変嬉しく存じます。

取材を受ける様子
 ニッケイ新聞

ブラジル最後の夜はサンパウロ三田会を開いていただきました。約20名がご多忙の中、会長である関根様のご自宅にお集まりくださりました。皆様から大変温かいお言葉を頂戴し、世界各地でご活躍なさっている慶應義塾の先輩方の強いつながりを感じることができました。美味しいお食事をいただいた後にスライドを用いて本年度の活動のご報告をしました。最後は塾歌と若き血を斉唱しまして閉会となりました。

サンパウロ三田会
サンパウロ三田会

これにてブラジルでの活動は全て終了しまして、明日からチリ・サンティアゴに移動致します。ブラジルでの活動では肥田家の皆様に何から何までお世話になりましてかけがえのない経験をさせていただきました。この5週間でブラジルの文化の多様性を感じ、日本とは異なる医療を見てきました。

SUSという国民健康保険は無料で医療を受けることのできる素晴らしい制度ではありますが、病院の側から見れば公的な診療で得られる収益はほとんどなく、ポルトアレグレで見学したように連邦大学病院でさえプライベートな診療で収益を賄わなければなりません。苦しい病院経営の中で雇うことのできる医師も少なく、また医療資源も十分ではないためSUSで診療を受けるには長い待ち時間が必要となります。一方、お金に余裕のある国民は民間保険に加入し医療を待ち時間なく受けることができます。このため、ドウラードスで見たようにインディオはたとえ街の近くに住んでいても、お金がないために病気は放置されてしまいます。
高い税を課すことでなんとか成り立つSUSも今後、医療の進歩に伴って医療費が高騰していくとますます機能しなくなります。これまでブラジルの医療は日本をはじめとする先進国の医療を持ちこむことで発展を遂げてきましたが、ブラジルの都市部では既に十分な施設が整っており、高度な機器を導入すればブラジルの医療が前に進む時代は終わり、日本と同じ課題を抱える段階にきています。現在ブラジルで必要なのは細江先生が尽力されたような遠隔地でのプライマリケアの拡充と、都市部の研究機関が医療費の高騰を少しでも抑えるために世界の研究に共同で参加する努力だと思います。
アマゾン川巡回診療船では、医療スタッフと生活を共にして医療の末端の健康がいかに保たれているかを実体験できました。しかし、巡回診療船のような素晴らしい例はまだまだ一部で、ブラジルのような広大な土地でプライマリケアを広めるためには遠隔医療のサポートが必要だと考えています。現段階では、遠隔医療に難病の鑑別診断のようなものを求める必要はなく、プライマリケアの手段として発展すれば十分だと思います。クイアバではマットグロッソ州が実際に遠隔医療を推し進めている様子を見学できました。
また、現在日本が薬価の高騰を抑えるためにアジアの治験の窓口を目指しているように、ブラジルが都市部の大学を中心として南米の治験の窓口を目指していくことができればよいと感じました。日本もブラジルもこれから世界の大学や製薬会社の方々と交渉していく中で、求められるコミュニケーション能力はますます高くなると思います。今回サンパウロ大学、パウリスタ大学の医学生と話してみて、異なる言語で意思疎通をとることがいかに難しいかを痛感しました。これから日本で努力してこの力を上げていきます。

さて、チリでは遠隔医療をテーマに取り上げています。アンデス山脈と太平洋に挟まれた複雑な地形を持つ国でどのような方向に遠隔医療が発展しようとしているのか見学して参ります。今後とも応援のほど宜しくお願い申し上げます。